2021-04-12 第204回国会 衆議院 決算行政監視委員会 第1号
だから、今は通常時じゃないので、非常事態として、はい、やってください、病床確保してくださいといったって、この前テレビに日本病院会の相沢会長が出ておられて、まあできません、こんなの、もっと総理が音頭を取ってビジョンを出して、そしてどういう病床調整をするか、医療人材を確保するか、ちゃんと乗り出してやらないと、こんなものできません、通達一片ばっと出して、言われただけじゃできませんとおっしゃっていたんですね
だから、今は通常時じゃないので、非常事態として、はい、やってください、病床確保してくださいといったって、この前テレビに日本病院会の相沢会長が出ておられて、まあできません、こんなの、もっと総理が音頭を取ってビジョンを出して、そしてどういう病床調整をするか、医療人材を確保するか、ちゃんと乗り出してやらないと、こんなものできません、通達一片ばっと出して、言われただけじゃできませんとおっしゃっていたんですね
女川原発から三十キロ圏に掛かっている美里町の相沢町長は、事故が起きても広域避難が安全にできるとは言えないと反対意見を述べています。この声に応える状況になっていないということなんですね。防災インフラ整備と言いながら、結局、立地地域も変わらないままずっと来ているんですよ。立地会議そのものがもう十年以上開催されていないわけなんですね。
五十七年前、国立大学を支えるための国立学校特別会計を生み出したのは文部省担当主計官だった相沢英之さんであるなど、節目節目で大蔵省と文部省が協働して、子供たちのため、若者のため、未来のための投資を行ってきました。
そして、今申し上げたのは公的、公立ですが、民間病院も、相沢病院が人工透析が必要な患者と中等症の患者、松本協立病院は主に軽症の患者、丸の内病院や藤森病院はコロナ以外の患者を担当されていただいております。
日本病院会の相沢会長は、折れそうな心を支えながら必死に医療を提供してきた我々の努力は、これ以上感染者がふえては全く報われない、国が先頭に立って国民の移動や行動を制限することを政策として掲げてほしいと述べております。
ちょっと過去の政治家の方の話をして恐縮ですけれども、この話は、昨年亡くなられた相沢英之先生の著書の中にあります。 やはり、政治家が公の意識だとか国を思う気持ちというのは本当に大事だと思うんです。それが残念ながら昨今は大分なくなってきているというのが、私は肌で感じるところなんですけれども。
永年在職議員として表彰された元議員相沢英之君は、去る四月四日逝去されました。痛惜の念にたえません。謹んで御冥福をお祈りいたします。 相沢英之君に対する弔詞は、議長において今十八日贈呈いたしました。これを朗読いたします。
○向大野事務総長 まず最初に、議長から、永年在職議員として表彰されました故元議員相沢英之先生に対する弔詞贈呈の報告がございまして、議長が弔詞を朗読されます。 次に、日程第一につき、高市議院運営委員長の報告がございます。次いで四人の方々からそれぞれ討論が行われますが、順序は印刷物のとおりでございます。立憲民主党、共産党、維新の会、社会保障を立て直す国民会議及び社民党が反対でございます。
向大野新治君 ————————————— 委員の異動 六月十八日 辞任 補欠選任 大隈 和英君 神谷 昇君 牧島かれん君 三谷 英弘君 同日 辞任 補欠選任 神谷 昇君 大隈 和英君 三谷 英弘君 牧島かれん君 ————————————— 本日の会議に付した案件 永年在職議員として表彰された元議員相沢英之君逝去
まず、元議員逝去につき弔詞贈呈報告の件についてでありますが、去る四月四日、永年在職議員として表彰された元議員相沢英之君が逝去されました。 ここに謹んで哀悼の意を表します。 弔詞につきましては、お手元の印刷物のとおりの特別弔詞を、理事各位の御了承を得まして、本日、議長から贈呈していただきましたので、御了承願います。
その結果、大学による発掘調査時の大学側の記者発表原稿の中で、相沢忠洋氏が昭和二十一年秋、村道で黒曜石の破片を発見した旨の経緯は確認できましたが、しかしながら、やり先形尖頭器始め相沢氏採集石器の出土位置、層位など、学術情報についての記述は確認できなかったところでございます。
奥様を含め、相沢さんのこの記念館を有志で守っておられる後援会の皆様は、これを相沢の功績として何としても認めてもらいたいという強い思いというよりは、やはり、一連の岩宿遺跡の中に、そのきっかけになったやり先形尖頭器が、その博物館に存在しない、一体として見ていただけないというのを非常に心苦しく思っているところでもありますので、ぜひ引き続きの調査等々も文科省にも御尽力を賜りたいと思います。
群馬県人にとっては、やはり考古学を志す人にとっては、この相沢さんという方はもう非常に有名で、ヒーローのような、そういう存在になっているわけですが、次は、この相沢さんの功績に係る質問をさせていただきたいと思います。 この岩宿遺跡の物すごさ、繰り返しになりますが、日本史を大きく変える世紀の大発見であったわけですけれども、その第一発見者というのはやはり相沢忠洋さんなんだろうと思います。
先生御指摘のとおり、相沢氏が発見いたしましたやり先形尖頭器を始めとする採集品は、日本列島における旧石器時代の遺跡、遺物の存在を初めて証明することとなった岩宿遺跡の発見の契機となったと認識しております。 相沢氏による採集活動や採集資料は、後の学術界による発掘調査及び検証に寄与するものであり、その活動を総体として評価されているものと認識しております。
相沢忠洋さんという方でございます。
文化庁自身が評価しているかどうかは言わないわけですけれども、要するに、国としてその方の業績を評価するということにつなげていくためには、相沢さんが発見をしたやり先形尖頭器を重要文化財等に指定すべきであるというふうに私は考えます。
○国務大臣(麻生太郎君) 我々の世代は、シベリアの酷寒の地の時代を知っている世代ですから、ですから、そういった意味では、相沢先生に限らず、私の周りにもそういった方はおられましたんで。もう大分多くの方が亡くなっておられます。
財団全抑協、相沢英之先生、我々の大先輩が会長をずっとお務めになっておられます。このシベリア抑留者の皆様方が若干置いてきぼりを食らっているような私は印象を拭い去ることができません。九十を超える方が大半でございます。数少なくおなりになりました。 解決すべきがあります。
二〇一三年の夏にタンクから汚染水漏れがあったことが大きな問題になりまして、同年の九月三十日に当委員会で御社の相沢副社長が、「今後は、迅速でかつ率直なデータの開示ということ、それについて我々として、十分な解析が必ずしも行われていなくてもデータとして御報告する、公表してまいるということを第一の原則といたしまして、対応してまいりたいというふうに思います。」と答弁されているんですよ。
同年の九月三十日に、当委員会の汚染水問題に関する閉会中審査で、東電の相沢副社長は、「今後は、迅速でかつ率直なデータの開示ということ、それについて我々として、十分な解析が必ずしも行われていなくてもデータとして御報告する、公表してまいるということを第一の原則といたしまして、対応してまいりたいというふうに思います。」と答弁されております。 国会答弁というのは国民に対する約束ですよ。
それでは、引き続きまして、相沢さんにお伺いをいたします。 その当時の状況、そういう意味では、選挙が宮城県では延びたというふうに理解をしておりますけれども、延びたということで、実際、選挙がしっかりと戦えるようになったか、逆に言うと、四月の時点で選挙があったら、ちゃんと選挙ができたのかどうかということについて、お考えを改めて伺いたいと思います。
○相沢光哉君 先ほどから申し上げていますように、緊急事態対策あるいは基本法というものの対象として、大災害というものは当然含めるべきだと思いますので、先生のおっしゃるとおりだと思います。
次に、相沢光哉君にお願いいたします。
相沢光哉県議は「(福島県内で)一カ所、集中管理・処理が、日本全体で見た場合でもいいのでは」と述べた。 指定廃棄物の福島県への集約は、東日本大震災後から議論されてきた。 しかし、福島県の反発を受け、政府は指定廃棄物を「発生した県ごとに処理する」と閣議決定。 宮城の市町村長会議でも、「県内一カ所に最終処分場を建設する」と合意していた。
○麻生国務大臣 シーリング、これは一番、あなたの大先輩に当たる、まだ御存命ですけれども、相沢英之先生という方が、このシーリングこそ役人を堕落させた、三十年ぐらい前にそう言われたと思うんです。
東電につきましては、本日、東京電力の広瀬社長及び相沢原子力担当副社長は、現地貯水槽の水漏れ事故に対処するため福島第一原発に赴き、まさに現地で今、陣頭指揮をとっているところであります。 その上で、一般論として申し上げれば、今回の事故は、福島第一原発の円滑な廃炉に影響を与えかねない問題でありまして、東京電力に対しては、国会の場も含め、十分に説明責任を果たすよう促してまいりたいと考えております。
勝俣さんだけじゃなしに、相沢副社長は火力原子力発電技術協会会長に天下りすることが予定されていると言われているし、高津常務は東光電気という東電の系列会社の社長に、小森常務は常務執行役員、宮本常務は日本フィールド・エンジニアリング社長に、佐野常務は火力原子力発電技術協会専務理事、清水前社長は東電に燃料を入れている富士石油の社外取締役、武井副社長はアラビア石油の社外監査役、荒井常務は富士石油の常勤監査役などに
お国自慢をするわけではありませんけれども、昭和の陸軍の中で、相沢中佐に斬殺された永田鉄山、そして栗林中将、今井少将、これは全部信州の生んだ陸軍の俊英であります。そしてまた陸軍の知性だとも言われて、お三人とも国際感覚が極めて豊富であったということで、ここで議論することを大変名誉に思っておるわけであります。